昭蓮寺Day's8

井戸端会議8

 

南無妙法蓮華経

 

私の住む愛知県は、今年は比較的温かな正月で穏やかな日が続きました。と、申しますのは、この尾張地方は昔から、冬になると、滋賀県と岐阜県の県境にある霊峰伊吹山か吹き下ろす伊吹颪(いぶきおろし)が時折雪雲を運んできては雪を積もらせるものでした。子供の頃はこの時々降る珍しい雪が嬉しく、すぐに解けてしまう雪を惜しむ様にでっかい雪だるまを作ったり雪合戦をしたりして遊んだものです。しかし、最近ではその伊吹颪も気候変動により吹かなくなってしまい、よって雪が降り積もる事も少なくなってきました。今年に至ってはまだ一度も積雪はありません。白の雪化粧が見られないのも淋しいものです。

 そんな冬のある日、お正月の家祈祷でお檀家様の家々を回っている時、ある一軒の家のご主人が、入院をされているとの事をお聞きしました。そのご主人は数ヶ月前まではまだお元気で、こんな事を仰っておられました。「ほら、若がいつも、お通夜席なんかでお話しされますね。申し訳ないですけど、私の時は、簡単でいいので、これ読んで頂けますかね。一年ごとに、更新していきますけど・・・」そう言って渡させた一通の手紙がありました。しっかりと封は閉じられ、まだ開いておりません。この手紙を渡された時、人が臨終に真剣に向かい合う姿をかいま見た様な気がしました。だから私も、真剣に向かい合う決意を新たにしたことを思い出しました。

早速その晩、そのご主人が入院されている病院に向かいました。力を無くされたご様子で、起きているのもやっとのお体を、はじめは私に気を使い、腰掛けてお話をされていましたが、途中からは体を倒され、いつもは気丈な振る舞いのそのご主人も遂には、涙を流され、この世を去らなければならない、辛さと、妻を残して先立たなければならない苦しい思いを吐露されました。私は但、その傍らに座り、話を聞くだけが精一杯でした。そんなお話を伺いながら、私の心中は、複雑に揺れ動き供に涙するしかありませんでした。病室を立ち去る際に、生年月日と名前を紙に書いて頂き、翌日から闘病平癒の御祈願を始めました。その祈願を一日一日と続ける内に、私の心中は、複雑な思いで、溢れるようになりました。それは、一体、生老病死とは何なのかというものでした。そして中でも、病むこと、死ぬこととは何なのかという問いが心を離れませんでした。人は生まれれば、沢山の出会いや別れを繰り返しますが、なかでも、冥土へ旅路は、何よりも厳しい現実の問題として、如何なる者でも生きている命の直ぐ側に横たわっています。

 お祖師様は『されば先ず、臨終の事を習いて、後に他事を習うべし』と仰せになられますが、この「臨終の事を習う」とは、一体どのようなものなのか。

 此の様な疑問は、お坊様というお仕事をしていく上で、もう既に何度も、何度も考え思い、三十歳そこそこの年齢で、今思うそれなりの答えを自分の中で見つけていたつもりでした。しかし、この一人のご主人との臨終間際のやり取りを、この世に残される者の一人として、どう捉え、どのようにその臨終に向き合うか、その疑問はここに来て、より一層深まりました。解り得ないであろう、この世を旅立つ人のその心中を人としてどれだけ推し量る事が出来るのかと・・・

 思い倦ねていると、その心中に対する一つの答えに出会うことが出来ました。それは、たまたま、今月の末に結婚を控えた姉が、引っ越しの準備で自分の部屋の荷物を段ボールに詰めている時の事でした。茶封筒に入った丁寧に折り畳んだスーパーの広告を見つけました。広げてみるとそれは、一通の手紙でした。そこには、こんな事が書かれていました。

「友ちゃんがんばって下さい。おばあちゃん、ないてばかり居ました。けどもうなきません。人生は永いのです。色々あります。負けないでつよく生きて下さい。おばあちゃんは、幸福者です。ただ、淋しいだけが、いやです。」

友ちゃんとは私の事です。この手紙は、いつ渡されたのか、当時読んだ記憶もありません。昨年十三回忌を終えた祖母は、時空を超えて、僕の疑問に答えてくれた、そう思うと、涙が溢れ出しました。お茶を飲むにも、珈琲を飲むにも、何をするにもお題目を唱えていた祖母は、私が大学2年の頃この世を去りました。孫もだんだんと大きくなり手を離れていき、自分の臨終を見つめる日々が続いたのでしょう。晩年は、畳の上で朝目覚めたら死んでいたという死に方がいい。世話かけたくない。そんな事を口にしていた祖母は、実際に朝起きてこないまま、布団の中で、静かに死を向かえていました。

 臨終の事、それは一つに、その間際の人の心中にはいいし得ない淋しさが横たわっており、それが涙として溢れ出す、そして、あの病室でご主人が流した涙も、この手紙で、祖母が流した涙も、本当に自らの死を覚悟した者のみが知る、底知れない淋しさからの、涙である事をここに推し量る事が出来ました。

 法華経を信じ、日蓮聖人を信じ、お題目を唱えぬいた祖母が、今ここに蘇り、目の前を照らしてくれました。そう思うと、私の眼からも止めどなく涙が溢れて来ました。法華経信仰の功徳はこうして、未来へとその痕跡残し、繋がる命の生死常夜を、照らす大燈明となり、更なる信じる勇気を与えてくれるものとなりました。そのご主人との今生で残された時間は僅かですが、最後まで寄り添って参りたいと思います。

 

臨終を 向かえし 遠離の悲しみに

ながす涙を 但 淋淋と

 

JURAN

http://jurancop21.net/

 

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