昭蓮寺Day's10

井戸端会議10

南無妙法蓮華経

 春の暖かな陽射しに、心地よい風が吹く爽やかな季節になりました。こんな気持ちのよい季節とは裏腹に、娘の通う小学校からは、大陸からの風に乗って黄砂と共にPM2.5が飛来しますので、外出を控えることと、登校時には、マスクを着用するようにとの案内のメールが届きます。かつて映画監督の黒澤明は、映画『夢・赤富士』のノートに次のように綴っています。

「猿は火を使わない。火は自分達の手に負えない事を知っているからだ。ところが、人間は核を使い出した。それが、自分達の手に負えないとは考えないらしい。火山の爆発が手に負えないのは、わかっているのに、原子力発電所の爆発なら、なんとかなると思ってるのは・・・どうかと思うね。高い木に登って、自分のまたがっている木の枝を一生懸命切っているいる阿呆に似ているね。」

 この先も到底直ぐには治まりそうにない、中国の大気汚染は、数十年前に日本が体験した公害問題の再来であります。九州では、PM2.5ならぬ、PM0.5という更に微細で人体に悪影響を及ぼす汚染物質も観測されるようになりました。此の様な問題を一つ一つ解決していかなければ、生命に未来はないように思います。問題解決の糸口は一体どこにあるのでしょうか。命より経済優先の市場原理主義の誤りに気づき、経済成長等の幻想は捨てて、共に生き抜くには、どのような経済社会を構築していけばよいのか、今こそ、宗教的智慧に目を向ける時ではないでしょうか。

 さて、先日お彼岸のお中日の夜、とある「法座」へ出かけて参りました。「法座」とは、主に寺院乃至、御信者様の自宅にて集い、お経を上げて、その後、数名が代表して、信仰体験を語り、互いにそれを確かめ合い、更なる法華信仰の深まりを誓い合う場所の事を言います。その法座とは、昭和十年頃から八十年余続く「板角総本舗」の現会長宅での法座でした。

 板角とは皆様もご存知と通り、えび煎餅「ゆかり」を生産している煎餅屋さんことです。ではなぜ、その法座に足を運んだのかと申しますと、それは、ご縁のある庵主様より、最後の法座ですのでお時間あれば、是非お越し下さいとのお誘いを受けたことがきっかけでした。

 その法座は、小さな街の小さな煎餅屋の二階から始まりました。えび煎餅を一枚一枚ひっくり返し焼きながら、殺生を商売にするからと、その法座に集う方々にそれを供養する事数十年、遂には、板角が大檀越となり、愛知県東海市に妙法寺、名古屋市に道心寺の二ヶ寺を建立するに至りました。その信仰の始まりの場である板角の徳高き法の会座が、ここに来て一つの時代の区切りとなりました。その歴史的終焉をこの目で確と見届けようと思い出かけて行きました。そこは、その最後を惜しむ人で溢れていました。複雑な思いの入り交じったその場の雰囲気に、私は、二つの事を思い浮かべました。一つは、法師品の「況滅度後」の文字、もう一つは宝塔品の「此経難持」の文字です。

 日蓮聖人は、『三沢鈔』に次の様にお示しになられます。

たとい明師並に実経に値い奉りて正法をへ(得)たる人なれども、生死をいで仏にならむとする時には、かならず影の身にそうがごとく、雨に雲のあるがごとく、三障四魔と申して七の大事出現す。(中略)日蓮さきよりかゝるべしとみほどき(見解)候て、末代の凡夫の今生に仏になる事は大事にて候けり。釈迦仏の仏にならせ給いし事を経々にあまたとかれて候に、第六天の魔王のいたしける大難、いかにも忍ぶべしともみへ候はず候。提婆達多・阿闍世王の悪事はひとへに第六天の魔王のたばかりとこそみて候へ。まして「如来の現在すらなお怨嫉多し、いわんや滅度の後をや」と申して大覚世尊の御時の御難だにも、凡夫の身日蓮等がやうなる者は片時一日(ひとひ)も忍びがたかるべし。」

此の様に、第六天の魔王は、法華経を説く人、説く所をあの手この手で阻んでくるのです。

 そして、もう一つの、「此経難持」については、『四條金吾殿御返事』に於いて、「法華経の文に難信難解と説き給ふは是也。此経をきゝうくる人は多し。まことに聞受る如に大難来れども憶持不忘の人は希なる也。受るはやすく、持はかたし。さる間成仏は持にあり。此経を持ん人は難に値べしと心得て持つ也。則為疾得無上仏道は疑なし。三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持とは云也。経云、護持仏所属といへり。天台大師云く、「信力の故に受け念力の故に持つ云々」。(中略)法華経の行者は久遠長寿の如来也。修行の枝をきられまげられん事疑なかるべし。此より後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給べし。」と仰せになられます。

  この日蓮聖人のお言葉から、この度の板角の法座の最後を鑑みてみますと、実に八十年余に渡り毎月続けてこられた歴史と、更には大檀越となり、二ヶ寺建立を成し遂げられた事もまた奇跡的なことであったと言えましょう。そして、私も含め、あの場にいた多くの人は、この場所での法座は、一旦の区切りとされましたが、決してこの法座の灯を消す事なく、また新たな形で次世代へ紹継していかなければならないとの御誓いを深く胸に刻んだ事だろうと思います。歴史的な法座が閉じた事には痛惜の想いは残りますが、同時に私の心中に生まれた、受持の一念は誠に有り難いことでもありました。遥かなる仏道を、時には退転し、時には信じ貫き、末法で此の法華経に出会えた事を改めて歓喜し、今度こそ退転しないとの誓いを新たに、これからも、心にお題目を受持し念じ怠る事無きよう修行に励みたいと思います。

 

春深し 電光朝露の桜えび 誓いあらたに 深く噛みしめ

 

コメント: 0 (ディスカッションは終了しました。)
    まだコメントはありません。

南無妙法蓮華経

立正安国、世界平和

脱原発を祈ります。

 

〠483-8239

愛知県江南市木賀本郷町西152

電話:0587-55-2404