尾張四高祖の歴史

尾張四高祖
当山に安置される祖師本尊は、県下四高祖の一つであり(妙勝寺、本覚寺、妙蔵寺、昭蓮寺)、昔は、日比津の常徳寺(名古屋市中村区)に安置されておりましたが、今より250年程前、該山の住職日樹上人が当山へ隠居されるに際し、三宝尊像、祖師大士像、朝日立像の祖師尊像を伴い奉安なされました。其の後、文政年間(1818)萱津妙勝寺(愛知県あま市)の歴代日健上人が当山へ弘通の砌に祖師像を拝し御面影をつらつらとながめ、自山の祖師像とよく似ていると、御木像を細かく調べましたところ、これはなんと、泉阿者梨中老僧日法上人、御真彫、宗祖自ら御開眼遊ばされたる御尊像なりとて、此に初めて四高祖の一体であると崇め奉られ、それより、檀徒の信仰一層厚く仕える様になり霊験著しく以来古老の伝えとなりました。
 
明治五年、夏の頃四高祖奉安の寺院が集まり、再調査をしました、その結果確かに四高祖の一体であることは疑いのない事であるとして証明されました。この尊像の古き由来の委しいことは、日比津常徳寺にあるものならんと信じ、寺院立会いのもと証明書を写して弘く信心の輩に示したのであ
中老僧日法聖人・御真彫證書
中老僧日法聖人・御真彫證書
奉開眼
南無日蓮大菩薩
往昔文政年間妙勝寺日健上人 弘通之刻拝尊像誠是日法聖師 
真彫当國四高祖一像無疑者也 斯一事連綿貼村翁聞候以縁由 
更今般任國中信徒之懇望所定                                    仍 如 件
 
               明治五年壬申祀盃夏良日
 
                       妙勝寺 日順
                       照遠寺 日誓
                       本覺寺 日諦
                       妙蔵寺 日導
                       長遠寺 日房
開眼師列座證
       妙勝寺 印
               日 順 花押
       照遠寺 印
               日 誓 花押
       本覺寺 印
               日 諦 花押
                    妙蔵寺 印
                            日 導 花押
                    長遠寺 印
                            日 房 花押

四高祖の不思議な伝承

四高祖の不思議な伝承
昭和5年2月に杉本伊右衛門氏が施主となり第16代堀尾宣静法尼により作成された『祖師堂沿革及四高祖其の他略歴』によれば、次の様な伝承がある。
 
「今、御尊像(ごそんぞう)の御面影(おもかげ)新しく拝するが、元は黒く燻(くすび)びたるを思ひ、御洗濯申上げたる際、彩色したるが故なり。此尊像の霊験に付、一縷(つけ、いちる)を記さん。
「加藤宣妙尼の代に御尊像を御洗濯せんとて、御魂(みたま)を抜き奉り、一之宮の仏師屋へ送りしに早速出来(さっそくでき)ざるに依り、再三催促(さいさんさいそく)して、弟子妙縁尼(でしみょうえんに)は、其(その)、木像を首に掛け喜び仰へ帰りしに、師尚(しなお)、宣妙尼は、是を見て此御木像は御顔が違ふなり、直様(すぐさま)、取替へ来れと申し付けられば、折返し仏師屋に至り、其由(そのよし)申けるに、仏師屋の云う様、実は、彼(か)の木像を預りてより、家内(かない)にて何となく賑(にぎ)はしく、静かに聞けば御木像の読経の声なりし、又、木像を預りてより以来、不思議にも非常に繁盛にて、毎日忙しき計りなり故に、此、御木像は、我家に残し置かん者と斯く致せしなりと、自白し謝罪して、元の御木像を返したる事あり。
又、宣妙尼の老父が当庵へ留守居(るすい)に来る度毎(たびごと)に、御祖師様の御読経が初つた宣妙早く来れと云う事、度々ありしと云ふ」
此、話は、現在の隠居(昭和5年当時)妙縁尼僧の語らるる處(ところ)にして、此の事、空しからず、其の他、此尊像の顕著(けんちょ)なる御利益を受けたる者、多々あるは能く人の知る處なり。此の四高祖御拝礼の輩(ともがら)は、宗祖大菩薩、御在世の思ひをなし奉るべし現象の利益ある事疑なし。末法万年(まっぽうまんねん)の末迄(すえまで)も、此御恩徳(このごおんとく)に浴(よく)し、上下万民共に、快楽(けらく)を得、高祖の御利益無窮(ごりやくむぐう)なる事を記す者なり。
 
以上、不思議な伝承であります。当時の宣静尼の、趣ある御文章をそののまま記載しました。
 

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