南無妙法蓮華経
遂に自作にて開設した無料hp。
シンプルで使いやすそうだ。
こうして、双子のyugoやkicoを抱きながら、片手でタイピングするのにも少し慣れてきた。
今日は、福島から、義父義母が来ている。元気そうでなにより。
放射能の影響を心配しない日は無い。
自然界の法則から、逸脱した愚かな人間を思う今、妙とは何かを考えた。
妙とは。
妙とは、正に、この世のすべてが妙である。
法界にある、流れる時間や、存在するもの、全てが妙である。
例えば、鮭という魚は、秋になると産卵の為、川を遡上します。川で育ち、やがて海に行き暮らし、大人になり又、自分の生まれ故郷の川へ帰ってくる。
鮭のあの命の中に、迷わず元の自分の生まれた川に帰ってくる事もまた、妙であるが、更に妙な事がある。
それは、鮭の体の中に、蓄えられたリンという成分は、数千数万とう永い年月を経て、陸から海に流れて行った成分で、陸の植物にとっては無くてはならない成分である。
鮭は、このリンを海でしっかりと蓄え、川を遡上し、陸の川にこの大切なリンを自らの「死」をもってお返しする。
このリンを以って、川の藻が育ち、それをプランクトンや、鮎などの川魚が食べる、当に、絶妙のバランスで織りなす命の営みと循環が有る。
これを一つの妙という。
細やかな一日、数日、数か月、一年、数年、数十年、その命が生死を巡る速度は様々なれど、数万年、数億年、数億光年という、途切れる事のない時の流れと物質の循環が有る事を忘れてはならない。
その様な命の揺り籠の中に、連鎖する一縷の命として生きる人間もまた、妙の中に生きる存在である事は紛れもない真実。
しかしながら文明を謳歌する、私達人間は、資源を奪い合い、土地を奪い合い、紙幣の発行の権利を奪い合い、宗教の違いや思想の違いで対立し、戦争を繰り返し、命の大切な約束を破り続ける。
大切な生命の源の、大地、大海を汚染する。この様な人間の悪事も、又、大きな大宇宙から見れば、僅かなことの様に思えるが、ここ地球で生きる以上、私達は、この問題と向き合い、どの様に歩めば、この問題が解決でき、何を選択すれば世界の平和に繋がるのか、此の事について一人一人が気を配り関心を寄せていなければならない。
一念の中に三千の世界を具するという、この妙なる教えを信奉し実践する私達に課せられた使命は、その様に信じ行動すること。
「妙の一字変じて、台上の釈迦佛となる。」
南無妙法蓮華経
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